2013’03/17 防衛大学校
第57期生 卒業式
3人の式への出席が認められているので
前日から、小原台の海辺にある旅館にひかるを呼んで
前泊して 海鮮をいただき贅沢させていただいた。
もちろん去年に予約を入れて、ようやくキープできた。
淳子さんの身障者特権で、卒業式も車の乗り入れの許可を頂いた。
8時の開門で、構内に入り、ひかるが式場の席取りに向かってくれ
淳子さんとおいらは、倭の学生舎裏、駐車場に向かった。
ひかると合流し、3人で一気に部屋に押し掛け学生舎の雰囲気を味わった。
後期部屋っ子たちが、屈託なく迎えてくれるので
開校祭の時のように、部屋中央正面に位置する倭の机に陣を敷いた。
部屋っ子の本棚に、やまとから送られた 表彰状 があった。
またやってるな〜 と、流しつつも写真を頂き、10時からの式待ち時間を過ごした。
同部屋の学生に多大な迷惑をお掛けしたことを、この場を借りてお詫びします。
ほどなく、倭の姿が見えなくなった。後で解ったが、式場が9時開場だったので
卒業生は、9時には席に着いて1時間後の10時まで微動だせず
出席者を待っていたそうです。 礼を尽くして。
表彰状は、5枚で100円のを、100均で買ってきたそうです。
写真は部屋っ子宛てでしたが、倭の右横壁側の席の鷲野の引き出しに
彼宛ての1枚が隠されているのを見て、倭の後輩への思いが伝わってきた。
「シャレ」でもいいから、思いを伝えておくことを怠っていない。
やまとも、かつて先輩に贈られ伝統儀式なのかは、本人には、まだに聞いていない。
9時半を回り、おいら達も会場へと移動を開始した。
時計台が、お色直しで観場は悪かったが、天気は申し分なかった。
「帽子投げ」は、学生が退場の際に勝手に行うものです。
1000人を超えているが、静寂そのものでした。
倭は、前列中央ややこちら側に。
航空要員・専攻学科の50音順での席順だそうです。
お歴々のトリに、内閣総理大臣・最高指揮官が入場されました。
淳子さんもおいらも、人生で最高の国家斉唱でした。
卒業証書 授与順
陸上・しらいし
陸上・いけはら
陸上・けいじ
海上・かんだ
航空・やまと
航空・がんちゃん
航空・おおがき
4年間にわたり、やまとを「完全バックアップ」してくれた
ありがたい「同期」諸君です。
ありがたい訓示を頂き、閉式となりました。
いちばん、観たかったものが観れました。
終わったー!
式の一連で、総理大臣直々の任官式も行われ 倭は航空自衛隊員になりました。
続けて、簡閲式・卒業祝賀飛行・簡閲行進が行われました。
航空防衛の要F15が 3機飛びました。
やまとの秘蔵っ子・鷲野が411小隊指揮官を務めていました。
午餐会もそこそこに、お土産買いに専念し、「帽振れ〜」の
本館正面に向かいました。
部屋っ子と、別れの式です。
これで、やまとの防衛大学校での全ての任務が完了しました。
学生舎に撤収!!
淳子さんお望みの”陸・海・空制服三つ揃い”の記念写真
部屋っ子とラストショット
手前はやまとの机の上。
他の卒業生はとっくに完全撤収して跡形もありません。
いくら身障者特権で車が学舎裏に有るとはいえ最後までこの愚行。
時計は、6時を回り、在校生以外は 郊外退去の放送が入りました。
結局、部屋っ子が倭の最後の後始末をしてくれました。
この後は、防衛大の品位にかかわるので、
YouTubeでは未公開設定のやまと防衛大生活最後の映像です。
結局、部外者のおいら達親は、「帽子投げ」や「卒業証書」と
目に見えるもので記念だの、経験だのとありがたがっていますが
ポーカーフェイスのやまとには、ただの通過点で
防衛大で培った人間関係のみで充分に先に進めるようです。
また、それ以外には価値は見いださなかったようです。
部屋っ子に最後まで、手紙を書いて贈っていました。
やまとを取り巻いてくれた全てのみなさん、ありがとうございました。
こんにゃく屋
やまとくんでした!!